らいむぎばたけ

つかまえなくてだいじょうぶ

がんになった

タイトルの通りですが、悪性黒色腫という皮膚がんです。かかとにできました。がんはもう少し遠い存在だと思っていたけど、思いの外近くにいるもんだなと。2 - 3 人に 1 人はがんになると言われている時代なのでまあそうか。そんなもんかとも思う。

手術は来週。全身麻酔なので気づいたら終わっているのだろう。


そもそも 2023 年は心身共に不調な一年で、12 月には救急車で運ばれていたりもした。これは結果的には食中毒 (O126) だったんだけど、基本的に三食同じものを食べている夫の身には特に何もなかったので、夫には「落ちてるものは食べたらだめだよ」と言われた。後日、兄からも同じことを言われた。食べてないけど💢

夫は指定された病院まで車で追いかけて来てくれていた。落ち着くためにいつもと同じことをしようと思ったらしくブルアカをしていた。搬送されたあと一瞬だけ待合室にいる夫を見ることができて、スマホを横持ちしているのを見かけて安心した。わたしの顔を見て少し安心してそうな夫の顔を見てわたしも安心した。結局ある程度体を動かせるようになったところで帰宅するように言われた。

原因不明のままだったので、次の日に近くの胃腸科に行って、疑いがあるものをいくつかピックアップしてもらった。その場で検査をしたり、検査キットを渡されたり、検査の予約を取ったりなどした。


かかとに黒いシミやほくろのようなものがある。これはもう覚えていないけど 4, 5 年前にはもう存在していた気がする。顔だけじゃなくて足にもほくろってできるんだなあとそれくらいにしか思っていなかった。昨年の 11 月くらいに、図書館で借りた美容の本を読んでいると本編とは違うコラムか何かで「顔のシミやほくろは個性!」みたいなことが書かれていて、適当に読み飛ばそうかなと思ったら「ただ、足の裏にできるシミやほくろは危険なので病院に行ってね」みたいなことが書かれていた。そういえばなんかあるなということを思い出した。近い内に皮膚科に行くかーと思ってはいたけど、あまり大きく考えていなかった。

救急車で運ばれたのがきっかけで通い始めた胃腸科が皮膚科もやっていたので、ついでにかかとを見せて聞いてみたところ、すぐ大きい病院に行って下さい。紹介状を出しますという話になった。すぐには予約がとれず、年明けに予約がとれた。不安な気持ちで年末を過ごすことになった。

年が明けて大きい病院に行った。先生にかかとを見せたら写真を撮られた。写真で検査できるのかすごいなあと思っていたら「じゃあこれから病理検査のため麻酔して切ります。同意書にサインしてください。」とさらっと言われて、え?このあと、突然わたし切られるの?と思ってびっくりした。「痛いですか?」と聞いたら「麻酔するので大丈夫ですけど、麻酔が痛いです」と言われた。ただの注射じゃないの?と思っていたけど、手足の麻酔は痛いものらしい。本当にめっっっっっっっっっっちゃくちゃ痛くて泣いた。

全部終わったあとに先生に「今日、車で来てないよね?」と聞かれた。聞くのが遅くておもしろかった。自分で運転して行こうかと最初は思っていたけど、念の為夫に送ってもらっていたのでラッキーだった。それにしても結構カジュアルに切るんだなあと思ってびっくりした。二週間くらいは安静にして下さいと言われた。

夫に車で迎えてもらって、かかとを浮かせながらつま先で歩いてなんとか帰宅した。冷静になって考えると、足の裏を安静にする = 歩けないということに気付いた。そもそも麻酔が切れたら痛くてまともに歩けなかった。二階の自室に戻ることもできず二週間くらいリビングで仕事をしていた。一週間くらいたつと段々と歩く方法がわかってきて、スリッパからかかとを落として歩く方法をあみだした。これだと、かかとを床に接地せずに歩くことができる。天才だ。

結局かかとをつけて歩けるようになるまで四週間くらいかかった。病理検査のためにちょっと切っただけでこれだったので、実際の手術だともう少し歩行が困難になりそうな気がしている。散歩に行けないのがつらい。自ら進んで外に出ないのと、外に出たいのに出られないのは全然違う。夫と気分転換にドライブでも行けたらいいな。助手席に座ってるだけしかできないけれど。


一部の人にはがんになったという話を少し前にした。ワンパチもポケモンセンターから応援に駆けつけてくれた。

友人の一人はわたしのことを考えすぎて、家にいると落ち着かないからと夜に散歩をしているらしく、普通に心配になったので家で踊るくらいにしておいてくれという話をしたら、手術が終わるまでラジオ体操をしますと言っていた。

果たしてラジオ体操は踊りなのだろうか。


がんは現時点で転移は無かった。今ある足の裏の黒い部分を切除すればおそらく大丈夫だが、再発が多いらしい。状況や人にもよるし一概にはなんとも言えないが、いずれにせよ切ってみないとなんとも。そしてこの先も少しの間はこまめに通院しないといけない。転移も再発も無かったとしても 5 年くらいは通うものらしい。長い戦いなんだなあ。

図書館で適当に借りて読んだ本の小さいコラムが無かったら、病院に行って診てもらうという考えは全く浮かばなかったし、救急車で運ばれたあとに行った胃腸科が皮膚科もやっていなければ、皮膚科に行くのももっと後回しにしていたんだろうなと思うと、いろんなことがラッキーだったんだなあとも思う。

正直めっっっっちゃくちゃ落ち込んでるし、たまに涙腺崩壊することもある。不安なこともたくさんある。退院後の歩けない期間の家事や、一時的に歩けないわたしの介助の負担が夫に全てかかってしまうことや、そもそもがんになってしまったこと、再発の不安、年単位で続く通院、これから先のこと。とはいえ、今自分ができることはないし、あとは執刀する先生に頑張ってもらうしかないので、よろしくおねがいします。という気持ちではある。

あと、仕事があったのは良かった。もし無職だったら暇な時間にずっとがんについて考えてもっとメンタルが大変なことになっていた気がする。チームの人たちにも話して入院中も仕事はすることにした。通話ができない部分等で迷惑はかけてしまうが、余計なことを考えなくて済みそうだ。


自分の気持ちで変わったこととして、死について考えるようになった。別にすぐ死ぬつもりは勿論ないし、がんが取り切れる前提で生きていくつもりなのだけど。そのうちやろうと思っていた Apple の故人アカウント管理連絡先の設定とか、1Password の Emergency Kit を家の NAS に入れておくとか、そういうことを思いついたら進めている。病気に限らず事故とかもあるわけだし。夫が知らない私の友人たちの連絡先とかもどこかで共有しておくと良いのだろうか。あとはやろうやろうと思っていたことをなるべく後回しにしないようにしようと思うようになった。メルカリに出そうと思っていたものたちはとりあえず出品した。

みんなも足の裏にほくろがあったら最寄りの皮膚科へ。